読断片日記

仕事柄、1冊丸ごとより断片をよく読むので、その中で印象に残ったもののメモ代わり。

【読断片】渡辺政隆『一粒の柿の種―科学と文化を語る』

 
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【断片の要約】

  科学について語る場合、従来は専門家の話を一般人が拝聴するという一方通行的なものだった。だがそれでは科学に関心のある人にしか話が届かないし、一般人の話を科学の専門家が聞くこともない。その結果専門家は「素人は説明してもわからないし理解する気もない」と思い込み、素人の側は科学者は変人であるというイメージを強化するという悪循環を呼び、科学への関心を低下させてきた。そして科学技術への不信感は、反科学や偽科学の台頭を招きかねない。そこでサイエンスコミュニケーションという理念が登場し、各地の実情に合ったサイエンスカフェも生まれた。筆者の考える日本におけるサイエンスカフェの原点は「井戸端会議」である。

 

【感想】

 関心のある人だけが科学を学べばよいという態度がなぜいけないのか。その答えを我々は福島第一原発事故の際の「とろろ昆布売り切れ」や、現在進行中のコロナ禍における「消毒液を飲めばOK」「次亜塩素酸を噴霧」等で類推することができる。
 日本はまさに筆者が述べたような「悪循環」の典型事例だと思うが、日本ならではのさらなる悲劇は「専門家」を尊重せず、科学研究を「結果がすぐに出ないから」とおろそかにしてきたことである。それゆえ筆者の述べるようなサイエンスコミュニケーションを広めるどころか、研究資金の集めに奔走しなければならなくなった。科学への関心低下、不信が急速に進み、反ワクチンなどの「間違った自然派」が台頭しつつあるのはそのせいではないかと思う。

 科学だけの話ではないが、知りもしないのに知ったような気になって反対することが、一番危険である。