読断片日記

仕事柄、1冊丸ごとより断片をよく読むので、その中で印象に残ったもののメモ代わり。

【読断片】國分康孝「ふれあいの原理」※出典不明

【断片の要約】
人と心のふれあいを持つには人が触れてくるのを待っているだけではダメで、自己表現をしなければならない。自己表現とは人と感情を分かち合おうとすることである。自己表現のためにはまず相手の意向ばかり伺うのではなく、その瞬間瞬間の自分の本音に気づくことだ。弱点を乗り越えようとして他の極端に走るのではなく、その弱点を持つ自分になりきり、なりきったらそれをそのまま表現することだ。

 

【感想】

いやもうおっしゃるとおりです。「相手がどう思うか」をお互い考えてるような、全員が腹の探り合いをしているような昨今、同じことを日々感じております。

誰も本音を言わず誰も彼もが自分のみじめさを隠しているから、「みじめさ」が見えづらくなって余計に「この世にみじめな人なんて自分だけ」と思ってしまうのではないか。積極的に、とは言わないまでも「自分、みじめなんで」と素直に言うだけで「実は自分も」という人は出てくるのではないか。そう思っております。

 

【引用】
”デートのとき何を話してよいかわからないと悩む青年は、相手の気に入られることばかり考えるから、自分の考えていることがわからない。したがって表現する内容が思い浮かばないのである。「実は、あなたの気に入られたいという思いでいっぱいなので、それ以外のことは何も思い出せないのです」と言えばよいのである。これが出会いの第一歩である”

【読断片】『クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン』鴻上 尚史

 【断片の要約】

日本人は「社会」と日本独自の「世間」の二つの世界に生きているが、自分に直接関係する「世間」の方が大事なので、「世間」ではなく「社会」にいる人が困っていてもどうすればいいのかわからないから、助けない。

【感想】

 「世間」と「社会」という分類になるほど! と膝を打った。どうしても「優しい/冷たい」や「思いやりがある/ない」の二項対立で語られがちな「駅の階段でベビーカーを前に困っている母親」の例も、「世間」に生きている人間ではないから助けない、というのなら納得がいく。ウチとソトを厳密に分類する日本人らしいと言えばらしいのか。
 「世間」以外の「社会」に生きている人間には、人間らしさではなく「機能」のみを求めるのかもしれない、警察官がコンビニで飲み物を買っているとクレームが来るなどというのも、「社会」の中では「機能」たれという圧力なのかもしれないと感じた。

 そして、それほど「世間」が絶対であり、「世間」の中でのけ者にされたら生きていけないと感じてしまうのも日本人の特徴なのかもしれない。自殺者の多さもそう考えると納得がいく。

【1冊読んでみたい度】

★★★★☆